伊達一の家臣の居城
さて、次に紹介するのは、宮城県白石市にあった「白石城」です。別名には益岡城や、枡岡城と呼ばれるこの白石城について紹介する前に、宮城県という場所が戦国の中ではどういう立ち位置にあったのかを確認しましょう。宮城県を始めとする奥州はそのほとんどが伊達氏によって支配されていました。そのなかでも最も有名なのが、独眼竜の名をほしいままにしたという「伊達政宗」でしょう。伊達政宗は、非常に血気盛んでありながら計算高く戦国の世を生きました。時には冷酷に、肉親が人質に取られても構わず攻撃を行い父や兄ごと滅ぼすということもしてきた人物です。そんな伊達政宗には、右腕とも言える家臣がいました。 その家臣の名は「片倉小十郎」最近では歴史ドラマやゲームなどでも登場し、次第にその知名度を上げてきましたが、実はこの「片倉小十郎」は三人いたということをご存知でしょうか?片倉小十郎は片倉景綱の名前であり、その後三代にわたって伊達氏を支えた片倉の二代目、三代目も小十郎を名乗ったために、実際には三人分の名誉がひとり分かのように扱われるために、現在のような「片倉神話」とも言えるようなものが誕生したと考える事できます。 さて、ここで城の話に戻りましょう。この「白石城」は、この片倉氏の居城として用いられたものでした。築城の歴史は古く、鎌倉時代に白石氏に建築され、後に片倉氏によって使用されることとなっています。現在では、延命寺に厩口門が、当信寺に東口門があり、廃城令によって廃城となった後、長い時を経て1995年に復元され、現在では公園として公開されています。ちなみにこの白石城を収めていた白石氏・片倉氏は戦後に北海道へと入植し、現在札幌市にある白石区の名の由来はここから取られているといいます。 さてさて、この白石城に訪れたなら一緒に廻っておきたい観光スポットについて紹介していきましょう。少々離れてはいますが、茨城県の名所として最も有名な場所といえば、偕楽園でしょうか。偕楽園は、九代目水戸藩主の徳川斉昭によって造られた庭園で、梅の名所として非常に名高い庭園として知られています。大体梅の開花は一月末頃からと、東京などに比べると少々遅くズレますので、時期を確認して観に行くのが良いでしょう。
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